ニューウェーブ漫画相談室

マニアック目な漫画紹介ブログです。 どういうジャンルを取り扱っているかは、『カテゴリー』の『年間漫画まとめ』を参照頂くとわかりやすいかと。

2013年漫画総括

今年もあわただしく過ぎ去ろうとしております。

『このマンガがすごい!』を筆頭とした漫画ランキングも続々と発表されてくる時期です。そんなこともあり、私も今年読んだ漫画で面白かったものをまとめておこうかなと。12月発売の漫画は含みません。目を見張るようなものがあれば後で追加します。

面白いのでランキング形式にしますが、『このマン』等の予想ではありません。そんなに網羅的には読んでいませんので。いつかはやりたいなぁ。

 

評価対象:コミック版の発売日が今年の漫画

 

<相変わらず面白かった枠>

『神々と人々の日々』(増田こうすけ)

『銀の匙』(荒川弘)

『関根くんの恋』(河内遥)

『空が灰色だから』(阿部共実)

『ふうらい姉妹』(長崎ライチ)

『よつばと!』(あずまきよひこ)

『リューシカ・リューシカ』(安倍吉俊)

(作品名五十音順)

 連載が続く漫画はハードルが上がっていく中で、用意したハードルを越えていった作品群。基本的に新しく奇抜な作品を好む私だが、安定しているというのもそれはまたいいものだ。末永く続いてもらいたい(空灰終わっちゃったけど…)。

 

<新人枠>

『わたしの宇宙』(野田彩子)

 新人だからこその思い切ったメタ題材。完結するまではなかなか評価しづらい作品ではあるが、期待をするには十分なポテンシャルを感じさせてくれる。

 

<サブカル枠>

『足摺り水族館』(panpanya

 個人出版社から特殊装丁での販売ということから、もはやサブカル臭が漂っている。絵柄も独特のノスタルジイ感。ニューウェーブと呼ぶにふさわしい。

 

<グルメ漫画枠>

『目玉焼きの黄身 いつつぶす?』(おおひなたごう)

 グルメ漫画ブームだった気がする今年。私が一番気に入ったのはこの作品。とにかく笑えた。ギャグはテンポが大事。ベテランギャグ漫画家はそのへんが上手い。

 

<道満枠>

『ヴォイニッチホテル』(道満晴明)

『ぱら☆いぞ』(道満晴明)

 今更ながら、今年自分の中で道満晴明がブレイク。とりあえず絵が好きだ。ダークファンタジーと作風の相性が抜群なので、ヴォイニッチには凄く期待している。

 

<フェチ枠>

『富士山さんは思春期』(オジロ・マコト)

 高身長おっとり女子というピンポイントのニーズに答えた作品。個人的には素晴らしいコースを付いてきた。

 

 

 以上が特別枠。ここからはランキング形式。ただ、あんまり順位に意味はない。どれも自信を持ってオススメできる作品。

 

 

10位>

『星のポン子と豆腐屋れい子』(小原慎司、トニーたけざき)

 私の好きだった時代のアフタの雰囲気が漂う作品。起承転転転転結くらい物語があちらこちらに転ぶ。一冊完結のスピード感も魅力。うまくまとまっている。

 

9位>

『重版出来!』(松田奈緒子)

 出版社側から描いた漫画製作の裏側。よくある仕事もの漫画ではあるが、個人的に興味のある題材なので楽しめた。世の中は表に出る人間だけで回っている訳ではないというのは、どの業界にしても同じだ。

 

8位>

『千年万年りんごの子』(田中相)

 新進気鋭、田中相。たどたどしさが微笑ましい新婚夫婦を引き裂く村の風習。地方の村という閉鎖的空間の描き方が上手い。そしてそれに抗うために立ち上がる主人公。今後の展開が非常に楽しみ。

 

7位>

『僕は問題ありません』(宮崎夏次系)

 どこかズレた人を描かせると天下一品の漫画家による最新刊。デビュー作『変身のニュース』から変わらない、作品全体から醸し出される、なんだか上手くいかない雰囲気。本作の方が若干キャッチ―。

 

6位>

『宝石の国』(市川春子)

 こちらは人外との交流を描かせると右に出るものがいない市川春子。初連載がまさかのバトル漫画でどうなることやらと思ったが、思いのほかハマっているような気がする。短編の頃から巧妙だった伏線の張り方が、長編になりさらに複雑に絡み合っていく。どのくらいの長さになるのか。続きが楽しみ。あとエロさも健在。

 

5位>

『オンノジ』(施川ユウキ)

 ほのぼの無人街フラミンゴコメディ。個別記事も描いたので詳細は省くが、極限まで無駄をそぎ落としたボーイミーツガール。片方フラミンゴだけど。

 

4位>

『地球戦争』(小原慎司)

 SF冒険活劇。またも登場小原慎司。漫画巧者だと思う。こちらも詳細は個別記事。雰囲気は古臭いが、とにかく読んでいてワクワクする。

 

3位>

『第三世界の長井』(ながいけん)

 信者の多そうなながいけんの最新作。基本ベースは不条理系のギャグ漫画、それも読者を突き放してくるレベルのシュールさなのだが、その半面、全体を俯瞰するとメタ構造の設定と綿密な伏線が物語全体を支えている。熱心な読者はその裏側に気づき、物語の裏を考察するのだが、『神聖モテモテ王国』という「前科」のあるながいけん作品ということを忘れてはいけない。伏線に意味なんてないのかもしれない。不条理と秩序、その危うさを楽しむ作品なのかもしれない。

 

2位>

『ラタキアの魔女』(笠辺哲)

 「シュールレアリスムほのぼの漫画界の雄」という、うすた京介による意味不明な人物評が妙にしっくりくる漫画家、笠辺哲の短編集。以前の連載作品『フライングガール』にて見事なドラえもんを見せてくれた笠辺作品だが、そのSF(少し不思議)っぷりは本作も同様。ほのぼのな絵柄と雰囲気に、少し斜に構えたスパイスをブレンドさせている。少し不思議な要素が、物語の本流ではなくちょっとした小道具として出てくるあたり、藤子っぽい。寡作な漫画家だが、是非雑誌連載からメジャーになってほしい。

 

1位>

『ひきだしにテラリウム』(九井諒子) 

 創作物の面白さを思い出させてくれる作品。詳しくは以前書いた個別記事を読んで頂きたいが、キーワードは「妄想の共有」。おそらく今年の漫画賞でもなんらかの形で名前が挙がるだろう。メディア芸術祭マンガ部門では既に優秀賞に選ばれている。「俺マン」あたりでは上位なのではないだろうか。

 

 

 以上、私が読んだ今年の漫画総括です。年末までまだ時間はありますが、今年読んだ漫画は電子書籍も含みますが300冊弱くらい。来年はもうちょい増やしていきたいと思います。
 ではでは、皆さん良い漫画生活を。 

「強い」キャラクターによるキャラ漫画、『道士郎でござる』(西森博之)

 漫画の構成の中で、個性的なキャラクターを描くことに主眼が置かれておりストーリーがなおざりな漫画を、私は勝手に「キャラ漫画」と読んでいる。「日常系」という漫画分類に近いが、それよりもさらにキャラクターを描くことに特化した作品群の事を指している。『WORKING!』などが分かりやすい例だ。上ではストーリーがなおざりとは書いたがネガティブな側面ばかりでなく、魅力的なキャラクターを描くために他の要素を排除した一つの表現形態である。そして、その「キャラ漫画」を20年以上、四大少年誌で描き続けている漫画家がいる。西森博之という人だ。

 

 『今日から俺は!』や『天使な小生意気』の作者と言えば伝わりやすいかもしれない。根強い固定ファンの多い漫画家だ。その理由として、安定感がある、独特の空気感、など色々と言及されるが、その全てを生み出している最も大きな要素は「強いキャラクター造形」にある。強いと言っても物理的に強いという話ではない(多くの西森キャラは物理的にも強いが)。性格、信念、思考回路などキャラクターを形作る要素の一つ一つが作りこまれており、個性的、印象的で「強い」。そのため、舞台を作り(多くの西森漫画では高校、加えてヤンキーの多い学校)、そこに各キャラクターを放り込めば、個性の強い登場人物達は互いに干渉しあい作品が動く。特別な設定や世界観、大それた事件が起こらずとも、キャラクターの魅力だけで面白い漫画になっていく。

しかしながら、キャラクターが作品を作っていく事は珍しい事ではない。だからこそ、私は「キャラ漫画」という言葉を使う。では、西森漫画は他のキャラ漫画と何が違うか。繰り返しになるが、「キャラ漫画」ではストーリーは排除される。しかし西森漫画においては、キャラクターである主人公が、自分を魅せるための物語を自ら作り出している。

 

 今回取り上げている『道士郎でござる』を例に挙げよう。主人公はネバダ州から来た武士である桐柳道士郎だ。ネバダ州育ちなのに日本の象徴である武士であろうと行動しており、「武士とはそういうものだ」という言葉とともに武士的な行動を取り続ける。キャラクターの造形を書きだしただけでも強烈に個性的であり、その個性は周りの登場人物にも影響を与えていく。圧倒的な個性の前に蹂躙されるような勢いで周りを巻き込んでいき、物語は二転三転する。結果として、最も道士郎の個性を活かすためのストーリーが、自動的に、道士郎本人により作り出される。もし舞台設定や周りの人物が変わろうとも、道士郎は自分自身の個性で物語を作っていくだろう。自分を個性を自ら引き出すなどということは、そんじょそこらの「キャラ漫画」のキャラクターには出来ない芸当だ。それほどまでに、西森漫画の主人公達は「強い」個性を持っている。

 西森漫画が唐突に終わるという印象が強いのもそのためかもしれない。物語の主導権は作者にではなく、物語の主人公にある。幕を引くタイミングを決めるのもキャラクター自身なのだろう。

古典に学ぶワクワクの原点、『地球戦争』(小原愼司)

 どんな分野においても、今まで誰もやってこなかった新しいことは評価の対象になる。しかしながら、膨大な数の既存の作品が積み重ねられた現代において、人のやっていないことを探していると表現は前衛的で難解なものになっていく。そのような新しい、アバンギャルドな表現は目の肥えた一部の人間にのみ評価される傾向にある。一方、大衆に受けるようなわかりやすい表現は、既に古い時代に大部分が開拓されている。

そのため、大衆向けの作品を作るためには古典を学び、その手法を取り入れることが一番てっとり早い。古い作品のリメイクが行われるのは、世代が変わっても人々を惹きつける力がその作品にあるからだ。人々を魅了するワクワクの原点は古典にある。しかし、既存の作品をそのまま扱う訳にはいかない。他人の作品を自分流に料理する表現者の技量が試される。

 

 今回紹介する小原慎司の『地球戦争』は、H.G.ウェルズの『宇宙戦争』を主なモチーフとしている。『宇宙戦争』は言わずと知れたSF古典の名著である。『地球戦争』も序盤は『宇宙戦争』のストーリーをなぞっていく。ただ、大きく違うのが登場人物だ。主人公は孤児院で暮らす少年オリバーであり、そのオリバーが上流階級の娘、アリスと出会うところから物語が転がり出す。Wikipediaの引用だが、オリバーはチャールズ・ディケンズの『オリバー・ツイスト』、アリスはルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』、それぞれ別の物語の主人公をモチーフにしている。ここからわかるように、『地球戦争』は複数の古典作品を土台として構成されている。それは、ただ既存の作品を切り貼りしたわけではなく、新しい作品としての再構築である。

 

 『地球戦争』コミックの巻末インタビューを読む限り、小原は映画、小説などにも造詣が深いようだ。おそらく『地球戦争』において、上であげた作品以外にも様々な作品から、物語、登場人物、表現等の要素を取り入れているのだろう。それらが小原の手により、再構築されて一つの作品となっている。火星人が突然攻めてきてロンドンは火の海になる、主人公は孤児院で暮らしており下層階級の中でたくましく生きている、上流階級の娘と主人公が出会い価値観の差から衝突しながらもお互いを理解し合っていく…物語一つ一つの要素は決して突飛なものではなく「古典的」だ。しかし古典的なものにこそ、時代が違っても大衆に受け入れられる、ワクワクの源流が存在する。小原の手により、ワクワクの源流がそれぞれの古典作品から抜き出されて、再構築されていき『地球戦争』が描かれている。

 「古臭い」と評されることがある小原漫画だが、それが批判であるならばお門違いだ。小原はあえて古臭いものを提供している。読み手はその古臭い、根源的なワクワクを楽しむべきだ。

エッセイ漫画における漫画的手法、『さよならもいわずに』(上野顕太郎)、『人間仮免中』(卯月妙子)、『さよならタマちゃん』(武田一義)

 事実は小説より奇なり、という言葉が示すように、無限大の自由度の中で創作された虚構の物語より、現実の出来事の方が面白いことが多々ある。そのため、エッセイというジャンルがある。漫画ブログなので勿論、漫画という媒体を利用したエッセイを取り上げるのだが、作品により実体験の伝え方に違いがあり興味深い。

『失踪日記』(吾妻ひでお)(残念ながら未読)の文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞あたりから、衝撃的な内容を描いたエッセイ漫画がちょこちょこ話題に上がる。その中で私が読んで面白かった三作品を例に挙げて、エッセイ漫画の表現技法について考察してみる。

 

 『人間仮免中』は三作品の中で一番わかりやすい、内容の面白さで勝負した作品だ。作品内容について詳しくは書かないが、とにかく作者の卯月妙子に起こった事件がすさまじい。とにかく自分の体験を誰かに知ってほしくて、見た事聞いた事感じた事全部描いた、そんな漫画であり、そこに読者が共感する余地はない。読者はあまりに現実離れした出来事を目にすると、感覚がフィクションを見るときのものに近くなる。しかしながら、その出来事は現実に誰かが体験したものだという事実がエッセイの醍醐味であり、読み手を興奮させる。

 

 一方、『さよならもいわずに』は読者の共感を狙った作品だ。作者自身の妻が急死した直後の様子を描いた作品であり、主人公(作者)の気持ちの揺らぎが描かれている。倒れた妻を発見した直後の行動や、葬式の様子、周囲の人間の対応などが、心理面も含めて事細かに描写されており、読み手側の共感を誘う。心理描写は画面上でも様々な漫画技法を用いて行われる(黒い汚れにより周囲が包まれていき、吹き出しさえも見えなくなる描写は秀逸)。作品全体通して、読者に主人公の思考をトレースさせることで体験を共有させてくる。

 

 『さよならタマちゃん』は前二作品の中では、『人間仮免中』に近い。共感を得るというよりは、出来事の面白さを伝えたいという作品だ。精巣がんを患った作者の闘病記であり、入院中の周りの人との掛け合いが面白い。重要となってくるのが絵柄で、人物はデフォルメされた可愛らしいものとなっている。実在の人物を描いているというよりは、キャラクター色が強い。また、前二作品と比較するとモノローグが少ないのも特徴だ。作者の主観で描かれるというよりは、第三者的視点で群像劇を見ているようだ。主観で描かれる作品より客観で描かれる作品の方が間口は広い。イブニングという掲載誌もあってか、万人受けするタイプのエッセイ漫画となっている。

 

 エッセイに限らず、どんな創作物においても実体験が下地となって妄想が広がり表現が行われる。下地の出来事をどのように料理するか、漫画表現はその料理部分を担っており、人それぞれ千差万別の料理方法があるのだろう。そういう意味ではエッセイは料理人の差が如実に出て面白い。

「子供」が「大人」になる条件、『ママゴト』(松田洋子)

 「大人」になるとはなんだろう。「子供」はどうすれば育つのだろう。おそらく、精神の成長について、学術的にきちんとした定義があるものだろう。しかし今回は、松田洋子の定義する「大人」になる、について語ることにしよう。

 

 主人公の映子は、過去の凄惨な経験から子供に対してトラウマを抱えている。その映子が、5歳の男の子タイジを預かることになるところから物語が始まる。初めは、タイジに対してどう接すればいいかわからなかった映子だが、タイジの素直さに触れるうちに過去の辛い経験を振り返りながら克服していき、「大人」になっていく。しかし、本作は映子が「大人」へと成長する物語ではあるが、映子は「子供」ではない(アラフォーである)。実は、この漫画には「子供」と「大人」の間に、もうひとつ段階が存在する。「大人になりきれていない大人」だ。

 

 5歳児であるタイジは「子供」の代表として描かれる。知識も経験もない分、何事も素直に受け止め、素直に吐き出す。ところが、「子供」の素直さは年を取る毎に失われていく。知識はあるがままに物事を受け止めることを邪魔するし、経験は衝動にまかせた行動をためらわせる。知識と経験により凝り固まってしまった状態が「大人になりきれていない大人」だ。では、どうすれば「大人」になれるのか。

 

 映子は過去の辛い経験から目をそむけ続けて生きてきた。しかし、タイジと生活をするうちに、それらの経験を思い出し、もう一度自分の中で考え直して現状と一緒に消化していく。トラウマになるような悲惨な体験でも、今後を生きる上での糧としていき、映子は「大人」へと成長する。知識や経験に縛られず素直に物事を受け止め行動できる、それが松田洋子の描く「大人」の姿となっている。童心を取り戻す、とも言えなくもない。

 

 映子がタイジと出会った時点では、二人は「大人になりきれていない大人」と「子供」の関係だ。自分の経験を消化できないままの映子にタイジを育てることはできない。『ママゴト』の状態となっている。物語の最後に、映子が「大人」になり『ママゴト』は終わる。「大人」と「子供」であれば、「子供」の進む道は、「大人」が知っている道のはずだ。「子供」はそんな「大人」に導かれて育っていくのだろう。

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