ニューウェーブ漫画相談室

マニアック目な漫画紹介ブログです。 どういうジャンルを取り扱っているかは、『カテゴリー』の『年間漫画まとめ』を参照頂くとわかりやすいかと。

「産む男」による、性と恋愛の多様化、『白馬のお嫁さん』(庄司創)



 男女の性を主題とした物語は多く存在する。一般的な男女の性差は勿論のこと、ニューハーフや同性愛、性別違和(性同一性障害)、
両性具有、男の娘なども広義に性を扱っているといえる。今回レビューする『白馬のお嫁さん』では、男女の性を分ける新たな変数が創造される。

 本作では遺伝子デザインによりY染色体が改造された「産む男」が登場する。まず肉体的特徴について整理する。「産む男」は、生殖機能以外の体は女だが産み出せる配偶子は卵子でなく精子、ただし妊娠は可能、というなんとも奇妙な存在である。肉体的な性の特徴の中で配偶子と妊娠を別物として扱ったのがユニークで、「産む男」というネーミングは非常にわかりやすい。一方、精神的には「産む男」は基本的には男そのもののようだ。同作者の作品で同じ「産む男」を題材とした『三文未来の家庭訪問』の中で産む男は行動パターン(思考)が女性と違う(p143)と描写されている。ただ、ただ、主馬は恋愛対象が「産まない男」で、泰三は「脳がより女性に近い(本作p221)」と学から言われているが恐らく恋愛対象は女性であることからわかるように、「思考」と「恋愛対象」は作中で明確に区別されていると考えられる。

 以上のことから、庄司作品中の性における肉体的特徴と精神的特徴を以下の表にまとめた。

 

表 性的特徴の分類
 
『白馬のお嫁さん』

 上でも述べたが、本作において配偶子と妊娠を別物としたことが新しいアイディアであり、自由な変数が一つ増えたことにより性のバリエーションは広がる。表に示す以外の変数が登場する可能性もあるし、変数に入力される値として男と女の中間も考えられる。そして、性の多様化から導かれるものは、恋愛の多様化である。

 恋愛は、淡泊な表現をすれば、性と性の関係であり、性の種類が増えることで性と性を結ぶ恋愛の形も増えていく。作者はインタビューでも「「恋愛」がメインテーマ」で「恋愛テーマに関しても常識をいったん壊して、より普遍的な結論にたどりつきたい」と語っている(http://afternoon.moae.jp/news/1736:アフタヌーン公式HP)。一巻は登場人物の紹介に終始した。今後、新たな性により今まで読者が想像もしたことのない新たな恋愛が描かれることを期待したい。

 

我儘が許される子供と許してあげる大人、『子供はわかってあげない』(田島列島)



 大人と子供の違いとは何か。ボーイミーツガールという言葉があることからわかるように、少年少女の期間にしか成立しない物語がある。では何故、子供でなくてはいけないのか。

 書道、水泳、オカマ、新興宗教、超能力、などの様々な要素を詰め込んだ本作だが、大筋は王道のボーイミーツガール(というかガールミーツボーイ)となっている。情報量は多いがそれぞれの要素はリンクしており、読み進めるうちに点と点が繋がっていく感覚が味わえる。それぞれの要素を結ぶ共通事項は、作品タイトルでもある『子供はわかってあげない』にある。

 本作のタイトルは1959年公開のフランス映画『大人は判ってくれない』(フランソワ・トリュフォー)のパロディとなっている。注目すべきは『子供はわかって「あげない」』の「あげない」の部分だ。「あげない」からは明確な否定の意思が感じられる。少し飛躍して言い換えれば「我儘」とも表現できる。子供は我儘である。加えて、大人は子供の我儘を許容してくれる存在であるべきである。

 物語開始時の主人公二人は聞き分けのいい子供だ。サクタさんは「サクタさんてひんまがってないし(上巻 34p)」とモジくんに称されているし、モジくんはおじいさんの習字教室の代打をすんなり引き受けている。そんな変化に乏しい道を歩んできた二人が出会い、偶然に偶然が重なるうちにそれぞれに転機が訪れる。サクタさんは絵に描いたよーなシアワセ家族で生活しているにも関わらず実の父親を探すという選択肢をとるし、モジくんにしても後先考えずサクタさんを探すために走り回る。安全な道を選ばず、自分の意思と衝動を最優先して「我儘」な行動をとるわけだ。「あなたは今までまっすぐに生きすぎたんです(下巻 153p)」と評価されるようなサクタさんは、自分が取った我儘な行動が周りに迷惑を与えないか不安に駆られる。しかし彼女の予想に反して、周りの大人達、母親や明大、は我儘を全て許容してくれる。「子供は我儘でいいよ」と教えてくれるのだ。

 大人になれば我儘でいられないわけではない。サクタさんの父親は、明大の助けで我儘を突き通す。重要なのは、我儘を受け入れてくれる人がいる事だ。子供にとっての受け入れてくれる存在が大人である。子供は我儘を許され大人は許してあげる、という構造を知ることで子供は大人へと成長していく。

「足りない」を受け入れられるか、『ちーちゃんはちょっと足りない』(阿部共実)

・なにが足りないのか

 『空が灰色だから』で見事に読者を振り回してくれた阿部共実の最新作である本作。「行き場のない気持ち」をテーマにした前作で繰り広げられた、最後までどちらに転ぶかわからないストーリーと一癖も二癖もあるキャラ造形は健在。それが今回、初の長編でも如何なく発揮されている。

 最後まで読めばわかることだが、タイトルになっているちーちゃんではなく、その友人のナツが主人公になっている。物語序盤は、子供じみた行動をとるちーちゃんが「ちょっと足らない」様子を描いた漫画とミスリードを誘うが、ストーリーが進むにつれてナツの心理描写の割合が増えていき、同時に「ちょっと足りない」のは経済的な話だと感づき始める。そして経済的に足りない人物が三人登場する、ちーちゃんとナツ、そして物語中盤で登場する藤岡だ。

 

・三人の「足りない」への対応の違い

 経済的に足りないことへの三人の対応は違う。ちーちゃんは足りないことに気づき始めた段階、ナツは足りないことを認識し不満は募っているが受け入れられない段階、藤岡は足りないことを認識した上でそれを受け入れた段階になっている。段階、という表現を使ったように、貧乏への対応は、ちーちゃんからナツ、藤岡へと移行していくと思われる(少なくとも物語中では)。ナツの子供時代の描写で「この頃からウチって他のとこより貧しいんだなあって子供心に気づき始めたなあ(p134)」とあるように、小三のナツは貧乏に気づき始めた段階で、ちーちゃんは中二現在その思考状態であると思われる。現に、ガチャガチャをせがむちーちゃんは、光るおみくじをねだるナツと同じリアクションをとっている。一方、藤岡は、読んでいて明らかなことだが、自分が足りないことを受け入れた上で楽しんで生きている(p172)。藤岡にも、ちーちゃんやナツのように貧乏を受け入れられない時期があったのかもしれない(それを示す描写はないが)。三人の中で一番大人なのである。

 

・ナツは変わっていけるのか

 ちーちゃん、ナツ、藤岡は体格もそうだが、考え方においてもちーちゃんが子供、藤岡が大人となっている。大人になるにつれて、足りないという理不尽を理解した上で、受け入れられるようになっていく。

ちーちゃんの物語中での一番大きな役割はナツとの対比だ。小学生をすっとばしたように幼いちーちゃんだが、物語の中でテストの点は上がり、一人で電車に乗れるようになり、罪を認めて謝れるようになる。人と比べてゆっくりだが変わっていくちーちゃんと比較して、ナツはどうだろうか。物語中にナツは全く成長しない。足りないことへのコンプレックスは捨て去れず、足りてる人間を排除してちーちゃんと二人の世界へと逃げ込んだところで物語は終わる。阿部共実の真骨頂ともいえる、行き場のないラストだった。変わっていくちーちゃんを見て、ナツは何を考えたのだろうか。願わくは、変わっていける未来であってほしいと思う。

感覚で気持ちいいスポーツ漫画体験、『ピンポン』(松本大洋)



 遅くなりましたが、新年一本目の記事。しばらく低速での更新の予定。2月いっぱいくらいおそらく忙しいですが、そのうち頑張ります。

 

 さて今回は『ピンポン』。先日アニメ化が発表されて、たまたま正月に実家に帰省した際に読み返していた大いに驚いた。スポーツ漫画の傑作として今も語り継がれる本作は、絵柄などクセの強い作品であるにも関わらず広い層に受け入れられている。その理由として、映画化したというのも大きな要因だが、それよりなにより鬼才松本大洋による漫画技法の巧みさがある。一言でまとめると、読んでいて気持ちがいい漫画、と評価できる。

 

 漫画以外にも言えることだが、コンテンツは規模が大きくなるにつれて表現は成熟していく。先を走る表現は時に前衛的と評され、多くの人間には敷居が高くなる。しかし、最先端の表現技法にもかかわらず、大衆にウケる作品は存在する。音楽がわかりやすい例だが、曲を聴く時、大多数の人間は作り手の技量を評価はしない。なんとなくメロディを聴いて、なんとなく歌詞を聴いて、いい曲だなと感じる。その感情が生まれるために、作り手は様々な趣向を凝らす。人々の感覚に訴えかけるような作品を作ろうと尽力する。

 

 そのような視点で考えると、『ピンポン』は漫画というコンテンツの表現技法を十二分に活かした、感覚的にわかりやすい作品となっている。まず、ストーリーとキャラクタの配置が素晴らしい。二人の主人公とライバル達、才能、努力、幼馴染、苦悩、挫折、リベンジ、再会…青春漫画の基本のような構成要素が並ぶ。全体でみるとシンプルなストーリーだが、少しずつ要素を積み上げていき、終盤にかけてそれらを爆発させる構成が非常にうまい。全ての舞台装置は、最後に待っている主人公二人の再戦のために用意されている。

 そのストーリーを活かすために様々な漫画技法が繰り出される。本作の場合は、なんといっても線だろう。人工物に対しても定規をつかわない松本大洋の描く線は、ある時は力強く、ある時はやわからく、臨場感あふれる絵を紡ぎ出す。もうひとつ、スポーツ漫画として重要な要素である、「動き」の技法の多種多様さが大きな特徴としてあげられる。コマ割りや擬音、比喩など、ありとあらゆる表現を用いてキャラクタの「動き」が描かれている。『SLAM DUNK』でよくある、「動き」の瞬間を切り取った静止画とはまた違う、漫画という媒体独特のスポーツの描き方だ。そして、重要なことは、読み手は繰り出される技法を意識する必要はないということだ。パラパラと読み進めるだけで読者は試合の臨場感を味わう事ができる。

 優れている作品全てが後世に残る訳ではない。技法が優れていようとも、売れないばかりに日の目を見ないまま消えていった作品も多く存在するだろう。本作はオリジナリティ溢れる前衛的な技法を多々使用しているにも関わらず長期間多くの人間に支持され、連載終了から17年経った段階でアニメ化という運びとなった。支持を得る理由は、感覚に訴える、どんな人にも楽しみやすい作品だからだろう。漫画の表現とアニメの表現は別物だが、アニメではどのようにコンバートされるか今から楽しみだ。



2013年漫画総括

今年もあわただしく過ぎ去ろうとしております。

『このマンガがすごい!』を筆頭とした漫画ランキングも続々と発表されてくる時期です。そんなこともあり、私も今年読んだ漫画で面白かったものをまとめておこうかなと。12月発売の漫画は含みません。目を見張るようなものがあれば後で追加します。

面白いのでランキング形式にしますが、『このマン』等の予想ではありません。そんなに網羅的には読んでいませんので。いつかはやりたいなぁ。

 

評価対象:コミック版の発売日が今年の漫画

 

<相変わらず面白かった枠>

『神々と人々の日々』(増田こうすけ)

『銀の匙』(荒川弘)

『関根くんの恋』(河内遥)

『空が灰色だから』(阿部共実)

『ふうらい姉妹』(長崎ライチ)

『よつばと!』(あずまきよひこ)

『リューシカ・リューシカ』(安倍吉俊)

(作品名五十音順)

 連載が続く漫画はハードルが上がっていく中で、用意したハードルを越えていった作品群。基本的に新しく奇抜な作品を好む私だが、安定しているというのもそれはまたいいものだ。末永く続いてもらいたい(空灰終わっちゃったけど…)。

 

<新人枠>

『わたしの宇宙』(野田彩子)

 新人だからこその思い切ったメタ題材。完結するまではなかなか評価しづらい作品ではあるが、期待をするには十分なポテンシャルを感じさせてくれる。

 

<サブカル枠>

『足摺り水族館』(panpanya

 個人出版社から特殊装丁での販売ということから、もはやサブカル臭が漂っている。絵柄も独特のノスタルジイ感。ニューウェーブと呼ぶにふさわしい。

 

<グルメ漫画枠>

『目玉焼きの黄身 いつつぶす?』(おおひなたごう)

 グルメ漫画ブームだった気がする今年。私が一番気に入ったのはこの作品。とにかく笑えた。ギャグはテンポが大事。ベテランギャグ漫画家はそのへんが上手い。

 

<道満枠>

『ヴォイニッチホテル』(道満晴明)

『ぱら☆いぞ』(道満晴明)

 今更ながら、今年自分の中で道満晴明がブレイク。とりあえず絵が好きだ。ダークファンタジーと作風の相性が抜群なので、ヴォイニッチには凄く期待している。

 

<フェチ枠>

『富士山さんは思春期』(オジロ・マコト)

 高身長おっとり女子というピンポイントのニーズに答えた作品。個人的には素晴らしいコースを付いてきた。

 

 

 以上が特別枠。ここからはランキング形式。ただ、あんまり順位に意味はない。どれも自信を持ってオススメできる作品。

 

 

10位>

『星のポン子と豆腐屋れい子』(小原慎司、トニーたけざき)

 私の好きだった時代のアフタの雰囲気が漂う作品。起承転転転転結くらい物語があちらこちらに転ぶ。一冊完結のスピード感も魅力。うまくまとまっている。

 

9位>

『重版出来!』(松田奈緒子)

 出版社側から描いた漫画製作の裏側。よくある仕事もの漫画ではあるが、個人的に興味のある題材なので楽しめた。世の中は表に出る人間だけで回っている訳ではないというのは、どの業界にしても同じだ。

 

8位>

『千年万年りんごの子』(田中相)

 新進気鋭、田中相。たどたどしさが微笑ましい新婚夫婦を引き裂く村の風習。地方の村という閉鎖的空間の描き方が上手い。そしてそれに抗うために立ち上がる主人公。今後の展開が非常に楽しみ。

 

7位>

『僕は問題ありません』(宮崎夏次系)

 どこかズレた人を描かせると天下一品の漫画家による最新刊。デビュー作『変身のニュース』から変わらない、作品全体から醸し出される、なんだか上手くいかない雰囲気。本作の方が若干キャッチ―。

 

6位>

『宝石の国』(市川春子)

 こちらは人外との交流を描かせると右に出るものがいない市川春子。初連載がまさかのバトル漫画でどうなることやらと思ったが、思いのほかハマっているような気がする。短編の頃から巧妙だった伏線の張り方が、長編になりさらに複雑に絡み合っていく。どのくらいの長さになるのか。続きが楽しみ。あとエロさも健在。

 

5位>

『オンノジ』(施川ユウキ)

 ほのぼの無人街フラミンゴコメディ。個別記事も描いたので詳細は省くが、極限まで無駄をそぎ落としたボーイミーツガール。片方フラミンゴだけど。

 

4位>

『地球戦争』(小原慎司)

 SF冒険活劇。またも登場小原慎司。漫画巧者だと思う。こちらも詳細は個別記事。雰囲気は古臭いが、とにかく読んでいてワクワクする。

 

3位>

『第三世界の長井』(ながいけん)

 信者の多そうなながいけんの最新作。基本ベースは不条理系のギャグ漫画、それも読者を突き放してくるレベルのシュールさなのだが、その半面、全体を俯瞰するとメタ構造の設定と綿密な伏線が物語全体を支えている。熱心な読者はその裏側に気づき、物語の裏を考察するのだが、『神聖モテモテ王国』という「前科」のあるながいけん作品ということを忘れてはいけない。伏線に意味なんてないのかもしれない。不条理と秩序、その危うさを楽しむ作品なのかもしれない。

 

2位>

『ラタキアの魔女』(笠辺哲)

 「シュールレアリスムほのぼの漫画界の雄」という、うすた京介による意味不明な人物評が妙にしっくりくる漫画家、笠辺哲の短編集。以前の連載作品『フライングガール』にて見事なドラえもんを見せてくれた笠辺作品だが、そのSF(少し不思議)っぷりは本作も同様。ほのぼのな絵柄と雰囲気に、少し斜に構えたスパイスをブレンドさせている。少し不思議な要素が、物語の本流ではなくちょっとした小道具として出てくるあたり、藤子っぽい。寡作な漫画家だが、是非雑誌連載からメジャーになってほしい。

 

1位>

『ひきだしにテラリウム』(九井諒子) 

 創作物の面白さを思い出させてくれる作品。詳しくは以前書いた個別記事を読んで頂きたいが、キーワードは「妄想の共有」。おそらく今年の漫画賞でもなんらかの形で名前が挙がるだろう。メディア芸術祭マンガ部門では既に優秀賞に選ばれている。「俺マン」あたりでは上位なのではないだろうか。

 

 

 以上、私が読んだ今年の漫画総括です。年末までまだ時間はありますが、今年読んだ漫画は電子書籍も含みますが300冊弱くらい。来年はもうちょい増やしていきたいと思います。
 ではでは、皆さん良い漫画生活を。 

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