大人と子供の違いとは何か。ボーイミーツガールという言葉があることからわかるように、少年少女の期間にしか成立しない物語がある。では何故、子供でなくてはいけないのか。

 書道、水泳、オカマ、新興宗教、超能力、などの様々な要素を詰め込んだ本作だが、大筋は王道のボーイミーツガール(というかガールミーツボーイ)となっている。情報量は多いがそれぞれの要素はリンクしており、読み進めるうちに点と点が繋がっていく感覚が味わえる。それぞれの要素を結ぶ共通事項は、作品タイトルでもある『子供はわかってあげない』にある。

 本作のタイトルは1959年公開のフランス映画『大人は判ってくれない』(フランソワ・トリュフォー)のパロディとなっている。注目すべきは『子供はわかって「あげない」』の「あげない」の部分だ。「あげない」からは明確な否定の意思が感じられる。少し飛躍して言い換えれば「我儘」とも表現できる。子供は我儘である。加えて、大人は子供の我儘を許容してくれる存在であるべきである。

 物語開始時の主人公二人は聞き分けのいい子供だ。サクタさんは「サクタさんてひんまがってないし(上巻 34p)」とモジくんに称されているし、モジくんはおじいさんの習字教室の代打をすんなり引き受けている。そんな変化に乏しい道を歩んできた二人が出会い、偶然に偶然が重なるうちにそれぞれに転機が訪れる。サクタさんは絵に描いたよーなシアワセ家族で生活しているにも関わらず実の父親を探すという選択肢をとるし、モジくんにしても後先考えずサクタさんを探すために走り回る。安全な道を選ばず、自分の意思と衝動を最優先して「我儘」な行動をとるわけだ。「あなたは今までまっすぐに生きすぎたんです(下巻 153p)」と評価されるようなサクタさんは、自分が取った我儘な行動が周りに迷惑を与えないか不安に駆られる。しかし彼女の予想に反して、周りの大人達、母親や明大、は我儘を全て許容してくれる。「子供は我儘でいいよ」と教えてくれるのだ。

 大人になれば我儘でいられないわけではない。サクタさんの父親は、明大の助けで我儘を突き通す。重要なのは、我儘を受け入れてくれる人がいる事だ。子供にとっての受け入れてくれる存在が大人である。子供は我儘を許され大人は許してあげる、という構造を知ることで子供は大人へと成長していく。