どこまでパクリだ、どこまでオマージュだという議論は難しい。
個人的には他作品をしっかりと消化して自分のものとしていれば
オマージュで良いのではないかと思う(定義というには主観的過ぎるが...)。
本作はいくつか他作品の影響が読み取れるが、
それらが「お盆」というスパイスで料理されているところがユニークである 。



本作の主人公、秋は夏休み中の中学3年生。
友人と喧嘩をしてしまい、中々自分から仲直りを言い出せないでいる。


 p7
本編p. 7より引用。主人公の秋。友人と喧嘩中で仲直りできていない。


そんな中、8月15日、お盆がやってくる。
秋はお盆に帰ってくるご先祖様「おしょらいさん」を見ることが出来る不思議な力がある。
その力は家系的なものらしく、秋のおばあさんも子供の頃は見えたが今は見えないらしい。


 p18-19
本編p. 18-19より引用。お盆の日には町中に「おしょらいさん」が現れる。


あちらの世界「常世」とこちらの世界「浮世」 をつなぐお盆の日、
夏休みが終わり友人と顔を合わせるのが憂鬱な秋は、
「お盆の日がずっと続けばいいのに」と願う。 
その刹那、上空の雲が不穏に渦巻き奇妙な現象が起こる。
次の日に秋が朝起きても日付は変わらず8月15日、お盆の日のままなのだ。
何日経ってもループし続けるお盆、いつしか「常世」と「浮世」の境界さえも揺らぎ始める。


p39
本編p. 39より引用。ループし続けるお盆に気付いているのは秋と「常世」の人々のみである。


そんな秋の前に一人の青年が現れる。
夏夫と名乗るその青年は自分は幽霊だと言い張る。
そんな夏夫と共に秋は、「おしょらいさん」を送り火で「常世」に送り返したりしながら、
いつまでも続くお盆を終わらせるために送り火の山に向かう。
少女の一夏の冒険と成長の物語が繰り広げられる。


p48
本編p. 48より引用。幽霊だと名乗る青年、夏夫。
 

 さて、本作を最初に読み終わった私の率直な感想は以下の2点である。
(あらかじめ断っておくが、めちゃめちゃ面白く読んだ。非常に好みの作品であり批判ではない)

1)ジブリっぽいノスタルジックなストーリー
2)市川春子っぽいモノトーンな画面作り


この感想を書くために再読しても上記の印象は更に強くなった。
実際のところは作者さんに聞いてみないとわからないが、
個人的には意識してのオマージュなのではないかと思う。


1)に関しては、『千と千尋の神隠し』との共通点が驚くほど多い。
少女の成長物語、子供時代限定の不思議な体験、無数の「人以外」との交流、
人外の青年がパートナー、途中でそのパートナーを助けるために一歩踏み出す、
元の世界に帰るのが目的、自我が崩壊した人外との対決(下図)、
ノスタルジックな風景、小動物的な旅の仲間、等々...


p174-175
本編p. 174-175より引用。自我が崩壊した、ある「おしょらいさん」。


2)に関しては、スクリーントーン多めのモノトーンな雰囲気に、途切れがちでなめらかな描線、コマ割りで表現される間や構図なんかも市川春子をオマージュしているように思う。


p95
本編p. 95より引用。コマ割りによりワンテンポ置く間や横断的な構図。


冒頭でも述べたように、他作品の影響を受けようとも
自分流に料理をしてしまえばオマージュである。
京都在住で、カルチャー誌に盆踊りを題材とした漫画を連載しているなど、
この作者さんは「お盆」への強い関心があるのだろう。
夏休み、「常世」と「浮世」、入道雲、夏祭り、盆踊り、送り火、一夏だけの物語、
お盆という癖の強いスパイスにより料理された他作品のオマージュは、
見事に作者自身の作品として完成されているといえるのではなかろうか。