ネタバレありな考察なので、『水上悟志短編集「放浪世界」』収録の『虚無をゆく』を読んでから本記事をご覧下さい。
水上先生ご自身がツイッターにて、「渾身だった」と呟かれていた通り、作家性を凝縮させたようなエネルギーがたった74ページの読み切り作品に込められている。
大変密度の濃い作品であり、団地から宇宙まで広がるスケール感、それに合わせて凄まじい速度で展開していくストーリー、美しい起承転結、恒星間宇宙船やクローンなどのSF要素、ミクロとマクロ両輪のアクションシーン、存在意義に苦悩する主人公、ちょっとおっちょこちょいな相棒、黒髪釣り目眼鏡ニーソ姉キャラ...などなど、語りたい要素は枚挙にいとまがないが、本記事では「AIと人間の心」に着目して本作を考察する。
本作の主要キャラクタは、主人公で唯一の人間である天田ユウ、宇宙人のサロ、ロボットの土屋アイ、同じくロボットのアイス、の4人。ユウとサロが生物であり、アイとアイスは機械。サロが言うには機械には心がなく、生々しい振る舞いをシミュレーションするだけの哲学的ゾンビであるとのこと。
さて、果たして、サロが言う事は本当だろうか。ロボット達はプログラムされた行動しか取っていないのか。
本作のロボットに搭載されているAIは、ある目標に向かって行動する。アイに課せられた目標は「クローンを幸福にしろ」であり、その課題をこなすために時にはあらゆる手段を行使している。ユウが幸福にならない可能性があるならば、船の重要人物(?)であるサロにさえ逆らう。一方のアイスに対する命令については作中では言及されていない。ここでは予想になるが、彼女の使命は「盤古の王およびサロを幸福にすること」であると仮定しよう。パイロットであるユウだけでなく、盤古後見人であるサロの面倒をみることも彼女のミッションであったと思われる。
ここで考えたいのは、「彼女らの行動は命令の外に出ていたか」である。長い繰り返しの日々の中でAIの枠を超え、彼女らに「心」は芽生えたのだろうか。
答えはイエスだ。例えば、アイスの最後のセリフ、サロに拒絶されながらも呟いた、「心はあなたにあるんです...」はサロの幸福を願ったものではない。私には「心」がなくてもあなたの「心」を想うと胸が痛い、そんな共感の感情が彼女に芽生えた結果、彼女の「心」から出た言葉であろう。
アイの方も同様に命令外の行動が見て取れる。ユウがいない期間に団地の住人が見せる悲しげな姿も彼女ら自身の「心」の表れだろう。また、怪魚が襲来した際にアイが見せる不安の表情、これはユウの幸福のためではない。ユウという自分達の存在意義が永遠に奪われる不安から出た感情表現である。もしくは、怪魚を討伐し終えた際にユウの目的がなくなり幸福が失われることへの恐怖やもしれないが、どちらにせよ彼女に自我があることを思わせる。また、ラストシーン、ユウが事切れた後にアイが呟く一言は、決してユウに向けられたものではない。自分達の存在意義に対する自問自答から出てきた言葉であり、彼女に「心」があることがさりげなく描かれる。
以上のようにAIにも「心」が芽生えている。ただ、それだけで終わらないのが本作だ。「心」を飛び越えた、人間の「意思」の力を最後に描いている。
現実世界でもそうだが、AIは「目標設定」が苦手だ。ある目標が設定され、それに向かって最適化を行うことは機械の得意とするところであるが、新しい目標を設定することはどんなにAIが進歩しようとも難しいとされている。「目標設定」は人間の仕事である。ユウは最後に「人類の再興」という新しい目標を掲げる。小さな世界の幸福という目標に縛られた盤古の世界の殻を破り、外の世界、虚無を突き進んでいく。深い絶望を突き破る人間の意志が力強く描かれている傑作である。