ガールミーツボーイの大傑作。画面表現に関する考察は他の詳しい方に任せるとして、本記事はキャラクタについて書かせてもらう。
本作のテーマとして「中学生における子供から大人への変化」がある。そして2巻で土森が水谷に話をする場面から言葉を借りれば、「人の為に与える」ことが出来るようになって子供は大人になっていく。単行本2冊の中で「子供から大人」への過程が段階的に、そして大変丁寧に描かれている。
中学生になり周りの同級生が変わっていくことに戸惑う少女 水谷と、夜の学校で超能力の練習に励む変な少年 月野との出会いから物語は始まる。当初は突拍子もない月野の行動に面食らう水谷だったが、その純粋無垢さと時折見せる落ち着いた言動に魅かれ次第に打ち解けていく。
月曜日の学校にて交流を深めていく奇妙な関係はある晩のプールでの会合を境に友人へと変化する。それまでも月野の発言に感化されることがあった水谷だが自分からも月野に「与えたい」と思うようになる。ただ、この時点で水谷は「月野だけは大人にならないでくれ。」と発言する。今の関係が心地よく変化を望んでいないことが伺える発現だ。おそらく、月野だけでなく自分自身についても子供であり続けたいと考えていただろう。一方の月野は変化することを諦めてる節が見て取れる。超能力という突拍子もない手段がなければ、自分の今の環境は変えられないと思い込んでしまっている。
その後も月野の兄弟との妹弟とのお出かけや海岸での花火など友人として仲良くなっていく二人だが、そこに同級生のヤンキー少女 火木という異物が入り込んでくることで展開は動き始める。月野のために「与えたい」と考えた水谷は、誤って月野との約束を破ってしまう。その行動に月野はショックを受け、これまでにも頭にあった水谷への劣等感が表面化し、友人関係を解消する、とまで口に出してしまう。「与える」際には「受け入れる」ことも重要であり、そこも子供と大人を隔てる差だろう。月野は水谷の親切心から出た行動を受け入れられず拒絶してしまったのだ。
そんなギクシャクした関係が続いていたが均衡を破ったのは月野の謝罪だ。感情的になってしまった自らの非を認め謝ることで二人の関係は修復される。この謝罪という行為自体も、火木のゲーム機を借りっぱなしだったことに対する謝罪に影響を受けてのこととも取れる。水谷にアドバイスをした土森も含め、本作ではサブキャラクタも良い仕事をしている。
そうして、二人は以前に増して強い友人関係に納まる。火木との関係も改善し友人と呼べる存在となる。月野は「受け入れる」ことで少し大人になった。「~俺は水谷と出会う前の小学生の頃の自分に戻ってしまう。」という発言からもそれは見て取れる。変化することを諦めていた月野はそこにはもういない。
物語は最終話に移る。1巻時点では子供のままでいたいと思っていた水谷は、月野の言葉を受けて未来に思いを馳せ大人になった自分を想像出来るようになる。一方の月野も、水谷から特別な存在だと認められ「未来が楽しみだよ。」と発言する。子供のままでいたかったはずの二人は、お互いに与え合いながら大人へと成長していく。
もし月野と出会わなかったら水谷はどうなっていただろう。周りが大人になっていくことを尻目に、自分は子供のままでいたいと思い本ばかりを読む毎日を過ごしていたかもしれない。姉との関係も改善しなかったかもしれない。水谷と出会わなかった月野も、未来を肯定的に捉えるなんて到底できなかったろうし、父親と向き合うことも難しかっただろう。二人が出会い「与え合った」ことで影響し合って変化していく事こそがガールミーツボーイ(あるいはボーイミーツガール)の醍醐味であり、本作はそれを2巻という冊数で綺麗にまとめて見事に描き切っている。
月野が最後に自分の気持ちを素直に口に出し二人の物語は幕を閉じる。その後、季節は巡り春が訪れ、新たな中学一年生達が学校に入学してくる様子が描かれる。今はまだ子供である彼らも、友人と出会い「与え」「与えられ」ながら大人へと成長していくのだろう。