読者を物語の世界に引き込む手段として諦めを伴う悲劇は効果的なのだろう。そして本作の多くの読者はその先の救いを求めているはずだ。
(ネタバレ含む感想記事です。未読者回覧注意。)
本作は女性だけで構成された名門歌劇団の養成機関である音楽学校を舞台にした物語であり、そこに通う個性豊かな女学生達が仲間と共に舞台女優を目指す姿を描いた作品だ。現実の某歌劇団がモチーフで、15歳から18歳までの女子に限られる音楽学校の受験資格、受験までに様々な基礎能力を磨かなければいけない敷居の高さ、男役と娘役に分類される役者達、2年制の音楽学校での厳しい先輩後輩関係、数人しか選ばれないトップスター、などオマージュ元ベースに特殊な環境が設定されている。そんな特殊な環境で特別な存在となるために努力する少女達に対して様々な悲劇が待ち受ける。
個性豊かで魅力溢れる本作のキャラクタ達、その魅力の源流は何だろうか。芯の通った人間性や軽やかなキャラクタデザインなども素晴らしいが、彼女らを引き立てて魅力的に見せる一つの要素として悲劇を経験していることがあげられる。渡辺さらさは幼少期の呪いの言葉、奈良田愛は母親の愛人による性的虐待とその後の長期間の男性(人間)不信、杉本紗和は優等生な自分へのコンプレックス、星野薫は歌劇団一家に生まれながらの受験失敗、里見星は娘役になれなかったこと、などなど、各人辛い経験を乗り越えてからの現在がある。悲劇は読者を強く引き付けキャラクタへの同情を誘い感情移入を促進させている。
注目したいのが、大半のキャラクタの悲劇に「諦め」が付随していることだ。さらさは歌舞伎役者の夢を、愛は人間関係を、薫は普通の女子高生の生活を、星は娘役ををそれぞれ諦める。上述したような特殊な環境でトップスターを目指して競争しているキャラクタ達を描写する上で、何かを諦めて一心不乱に夢を追いかける、という構図はシンプルながら非常にパワフルでありそれが効果的に働いてキャラクタを魅力的に彩っている。3巻以降の巻末スピンオフも全て諦めをベースにした悲劇である。
悲劇が悲劇のまま終わる物語もあるだろう。ただ、夢を追う少女達を描く本作にその路線は恐らく合わないだろう。悲劇の先には救いがあるべきだ。星が男役としてトップスターになり成功したように、さらさはスターダムをのし上がりオスカルを演じて欲しいし、愛は人間不信を克服しさらさと共に銀橋を渡って欲しい、薫は銀橋の上からSS席に招いた彼を眺めて欲しい。今後の物語の中で、悲劇と諦めを下積みにした救いによるカタルシスが準備されて欲しいと願う。
最後に、野島聖について触れなければならない。彼女には他のキャラクタと違い、5巻巻末スピンオフと7巻巻末スピンオフ、2度の悲劇が襲う。1度目の悲劇では普通の女子高生としての生活を諦め、2度目の悲劇では1度目を経て掴み取ったはずの歌劇団トップの夢を諦める。誰よりも強かった彼女が夢破れ、学校内では最後まで気丈に振舞うも親友の前で涙を流す姿はこの上ない悲劇であり、読者の同情を掻き立てる最上級の演出であろう。親友からの慈愛の言葉に対して笑顔を浮かべる彼女は悲劇を乗り越えたのだろうか。個人的には、大きな悲劇の後には大きな救いがあって欲しい。聖に新しい夢と幸せを掴んで欲しいと個人的に願わざるを得ない。