『マイ・ブロークン・マリコ』、作品の根底にあるのは「故人の考えていたことはわからない」である。近い設定の作品として『違国日記』があり、両者のアプローチの違いが興味深い。
『マイ・ブロークン・マリコ』は、シイノがマリコとの思い出を振り返りながらストーリーが進んでいく。彼女の置かれた悲惨な家庭環境や自暴自棄な行動が思い返される。ここで重要なのは、全てシイノの主観で描かれており、モノローグなどでのマリコの思考の補完がないことだ。
思い出を振り返る中で、シイノは「あんたがどんどんわからなくなった」と話す。ずっと一緒にいたのに、何度も体を張って助け出したのに、私しかいなかったはずなのに、何で何も言わずに私を置いていったのか。今となっては故人の考えていたことはわからない。
一方の『違国日記』。朝の母親である実里が生前どんなことを考えていたか、少なくとも4巻までは朝や槙生などの伝聞からしか伝わってこない。自分にも他人にも厳しく世間体に拘る自信に溢れた強い人物。また朝への愛情については(少なくとも描写される範囲内では)やや軽薄に感じる対応であった。
そんな中で、実里の生前書いた朝に向けた日記を朝が読むという5巻収録のシーンにおいて、周囲から見た彼女ではなく、彼女が「考えていたこと」が明るみになる(それが真実かどうかは「わかんないじゃん」ではあるが、ここでは真実であると仮定して話を進める)。日記にて明かされた実里の想いは周囲から見た彼女の印象とは異なったものだった。普通のレールから外れ、かつて妹に投げた言葉が自身を苛み、自分の人生について強く思い悩んでいた。彼女の表情を含めた画面演出も合わさって、彼女の「考えていたこと」が伝わってくる強烈な演出である。
『違国日記』では故人の日記(実質、朝に向けた手紙)によって「故人の考えていたこと」が描写されている。さて、『マイ・ブロークン・マリコ』ではどうだろうか。物語のラスト、シイノはマリコからの最後の手紙を手にする。マリコの「考えていたこと」はその中に記されていたのだろうか。最後の手紙の内容は作中では描写されていないので読者が想像するしかない。その手紙を読んだシイノは小さく頷きながら涙する。手紙にはマリコの「考えていたこと」が、シイノの幸せを願う彼女の言葉が記されていたに違いない。