遅くなりましたが、新年一本目の記事。しばらく低速での更新の予定。2月いっぱいくらいおそらく忙しいですが、そのうち頑張ります。

 

 さて今回は『ピンポン』。先日アニメ化が発表されて、たまたま正月に実家に帰省した際に読み返していた大いに驚いた。スポーツ漫画の傑作として今も語り継がれる本作は、絵柄などクセの強い作品であるにも関わらず広い層に受け入れられている。その理由として、映画化したというのも大きな要因だが、それよりなにより鬼才松本大洋による漫画技法の巧みさがある。一言でまとめると、読んでいて気持ちがいい漫画、と評価できる。

 

 漫画以外にも言えることだが、コンテンツは規模が大きくなるにつれて表現は成熟していく。先を走る表現は時に前衛的と評され、多くの人間には敷居が高くなる。しかし、最先端の表現技法にもかかわらず、大衆にウケる作品は存在する。音楽がわかりやすい例だが、曲を聴く時、大多数の人間は作り手の技量を評価はしない。なんとなくメロディを聴いて、なんとなく歌詞を聴いて、いい曲だなと感じる。その感情が生まれるために、作り手は様々な趣向を凝らす。人々の感覚に訴えかけるような作品を作ろうと尽力する。

 

 そのような視点で考えると、『ピンポン』は漫画というコンテンツの表現技法を十二分に活かした、感覚的にわかりやすい作品となっている。まず、ストーリーとキャラクタの配置が素晴らしい。二人の主人公とライバル達、才能、努力、幼馴染、苦悩、挫折、リベンジ、再会…青春漫画の基本のような構成要素が並ぶ。全体でみるとシンプルなストーリーだが、少しずつ要素を積み上げていき、終盤にかけてそれらを爆発させる構成が非常にうまい。全ての舞台装置は、最後に待っている主人公二人の再戦のために用意されている。

 そのストーリーを活かすために様々な漫画技法が繰り出される。本作の場合は、なんといっても線だろう。人工物に対しても定規をつかわない松本大洋の描く線は、ある時は力強く、ある時はやわからく、臨場感あふれる絵を紡ぎ出す。もうひとつ、スポーツ漫画として重要な要素である、「動き」の技法の多種多様さが大きな特徴としてあげられる。コマ割りや擬音、比喩など、ありとあらゆる表現を用いてキャラクタの「動き」が描かれている。『SLAM DUNK』でよくある、「動き」の瞬間を切り取った静止画とはまた違う、漫画という媒体独特のスポーツの描き方だ。そして、重要なことは、読み手は繰り出される技法を意識する必要はないということだ。パラパラと読み進めるだけで読者は試合の臨場感を味わう事ができる。

 優れている作品全てが後世に残る訳ではない。技法が優れていようとも、売れないばかりに日の目を見ないまま消えていった作品も多く存在するだろう。本作はオリジナリティ溢れる前衛的な技法を多々使用しているにも関わらず長期間多くの人間に支持され、連載終了から17年経った段階でアニメ化という運びとなった。支持を得る理由は、感覚に訴える、どんな人にも楽しみやすい作品だからだろう。漫画の表現とアニメの表現は別物だが、アニメではどのようにコンバートされるか今から楽しみだ。