「大人」になるとはなんだろう。「子供」はどうすれば育つのだろう。おそらく、精神の成長について、学術的にきちんとした定義があるものだろう。しかし今回は、松田洋子の定義する「大人」になる、について語ることにしよう。

 

 主人公の映子は、過去の凄惨な経験から子供に対してトラウマを抱えている。その映子が、5歳の男の子タイジを預かることになるところから物語が始まる。初めは、タイジに対してどう接すればいいかわからなかった映子だが、タイジの素直さに触れるうちに過去の辛い経験を振り返りながら克服していき、「大人」になっていく。しかし、本作は映子が「大人」へと成長する物語ではあるが、映子は「子供」ではない(アラフォーである)。実は、この漫画には「子供」と「大人」の間に、もうひとつ段階が存在する。「大人になりきれていない大人」だ。

 

 5歳児であるタイジは「子供」の代表として描かれる。知識も経験もない分、何事も素直に受け止め、素直に吐き出す。ところが、「子供」の素直さは年を取る毎に失われていく。知識はあるがままに物事を受け止めることを邪魔するし、経験は衝動にまかせた行動をためらわせる。知識と経験により凝り固まってしまった状態が「大人になりきれていない大人」だ。では、どうすれば「大人」になれるのか。

 

 映子は過去の辛い経験から目をそむけ続けて生きてきた。しかし、タイジと生活をするうちに、それらの経験を思い出し、もう一度自分の中で考え直して現状と一緒に消化していく。トラウマになるような悲惨な体験でも、今後を生きる上での糧としていき、映子は「大人」へと成長する。知識や経験に縛られず素直に物事を受け止め行動できる、それが松田洋子の描く「大人」の姿となっている。童心を取り戻す、とも言えなくもない。

 

 映子がタイジと出会った時点では、二人は「大人になりきれていない大人」と「子供」の関係だ。自分の経験を消化できないままの映子にタイジを育てることはできない。『ママゴト』の状態となっている。物語の最後に、映子が「大人」になり『ママゴト』は終わる。「大人」と「子供」であれば、「子供」の進む道は、「大人」が知っている道のはずだ。「子供」はそんな「大人」に導かれて育っていくのだろう。